2022年度 文化センター・アリラン連続講座<オンライン開催>

2022年度 文化センター・アリラン連続講座(オンライン開催・全9回)

*各回ごとにPeatixでお申し込みを受け付けます。 こちらをクリック
加費(各回):一般 1,000円    
           :学生・経済困難のある方・障害のある方 600円

*全9回通し券(7,200円)を用意しております。
通し券をご希望の方は、アリランまでメールでお問い合わせ下さい。

「朝鮮現代史における平和と統一の課題」

平和と統一をいかに実現するか――これは、朝鮮現代史のもっとも重要な課題であるといえます。日本の植民地支配からの解放後、朝鮮半島は南北に分断され、米ソ対立の最前線となりました。そして1950年には分断の矛盾が戦争へと発展し、さらには国際紛争へと拡大していきます。この過程で膨大な人命が戦闘や虐殺、爆撃により失われ、さらに多くの人々が傷つき、離散家族が生まれました。戦争は1953年に停戦となりましたが、その後平和条約締結のための交渉は進まず、今日にいたるまで終戦は実現していません。

朝鮮の分断と戦争は人々にどのような暴力となってあらわれたのでしょうか、また、平和と統一を実現するため、人々はいかに苦闘したのでしょうか。2022年度の文化センター・アリラン連続講座は、これらの問いに答えるべく、「朝鮮現代史における平和と統一の課題」をテーマとして開講いたします。

この問いについて、本講座では第一に世界史的視点に立ってこの課題について考えてみたいと思います。朝鮮戦争は南北の戦争であると同時に、米軍を中心とした「朝鮮国連軍」や、中国人民志願軍が参戦したことからもわかるように、世界中の国々が参戦した国際的な戦争でした。それゆえに戦争の終結問題は、南北朝鮮のみならず冷戦下における世界史的な課題の一つでした。世界の国々にとって朝鮮の平和と統一の問題はいかに議論されたのでしょうか。第三世界の勃興、ベトナム戦争、米中国交回復、そしてソ連東欧社会主義圏の崩壊に至る歴史のなかで考察します。

第二に本講座では日本の役割に注目します。日本では朝鮮戦争の終結という課題とは残念ながら切実なものと認識されていません。それどころか戦争の終結を食い止めようとするような発言が公然となされているのが現状です。しかし、日本が「基地国家」としての役割を果たさなければ、米軍は朝鮮戦争を遂行することは困難でした。今日の朝鮮戦争終結のための努力に対する冷笑的姿勢の根源をたどるためにも、日本のこうした「戦後」のあり方を歴史的に問いなおすことが急務と考えます。

最後に、本講座では在日朝鮮人の統一と平和のための取り組みに光をあてます。海を隔てた母国の統一と平和のため、在日朝鮮人たちは困難な条件のもとで様々な実践を試みてきました。朝鮮戦争下の反戦運動や1960年の四月革命、そして韓国民主化運動と在日朝鮮人たちがいかなる連帯を希求したのかをたどります。

朝鮮の統一と平和に関心を持つ多くの方々にご参加いただければ幸いです。

*開催時間はいずれも午後2時から午後4時半を予定しています。

*現在のところ見逃し配信は予定しておりません。ご了承ください。

第1回 2022年6月25日(土

小林知子「『不戦アジア人権を守る会』の経験について考える:終わらない朝鮮戦争と東アジアにおける平和構築の課題」

朝鮮戦争下の日本社会で、日本で特殊訓練を受けていた中朝捕虜問題を追及し、休戦協定の成立を願って在日朝鮮人・在日中国人・日本人が共に展開した「不戦アジア人権を守る会」の活動について、町田忠昭『鹿地事件の覚書』を検証しながら紹介する。この運動の礎にあった「不戦アジア」の意思について、あらためて考える機会としたい。

第2回 2022年7月23日(土)

藤目ゆき「朝鮮戦争基地としての日本の形成と展開:連合国対日占領軍による民間人被害の視点から」

「8・15」終戦史観にも「突如として朝鮮で戦争が始まった」という見方にも共通の虚構性がある。日本在住民間人の占領軍被害実態を見ると、占領軍は終戦直後から基地拡張工事と軍事訓練を重ね、朝鮮戦争勃発以前に日本を基地化し、多数の老若男女が殺傷されている。朝鮮戦争下の日本では「演習」被害のみならず、「実戦」被害も多発した。

第3回 2022年9月24日(土)

高林敏之「植民地主義的戦争としての朝鮮戦争」

朝鮮戦争において朝鮮民主主義人民共和国と戦うために派遣された米軍主導の「国連軍」。その参加21ヵ国を紐解くと、朝鮮戦争が反共軍事同盟の拡大と密接に結びつき、植民地主義的な性格の濃厚な戦争であったことが分かります。本講演ではアフリカからの参戦国2ヵ国に特に焦点を当て、朝鮮戦争の植民地主義的性格を検討します。

第4回 2022年10月22日(土)

鄭栄桓「韓国四月革命と『民族日報』:その統一論を読み解く」

1960年3月から4月にかけて、不正選挙に抗議する人々のデモが韓国全域に広がり、ついに李承晩政権を下野・亡命に追い込みました。「四月革命」と呼ばれるこの出来事により、抑えつけられていた言論が息を吹き返します。なかでも1961年2月に創刊された『民族日報』は南北統一を訴えて注目を浴びましたが、1961年5月に軍事クーデターにより権力を奪取した朴正熙政権により廃刊処分を受け、社長の趙鏞寿は死刑に処されました。わずか3ヶ月のみ存在した『民族日報』は何を訴えたのか。その統一論を中心に検討します。

第5回 2022年11月19日(土)

林裕哲「朝鮮民主主義人民共和国と第三世界:1960年代を中心に」

植民地からの独立・従属からの自立を目指す第三世界諸国の運動は、1955年のバンドン、1961年のベオグラード、1966年のハバナを経てヴェトナム戦争で頂点に達し、やがて暗転していきます。一方で、日本の植民地支配から立ち上がった朝鮮民主主義人民共和国はバンドン会議に参加できず、非同盟諸国会議への参加は1976年に至って実現しました。現代史において眩い光を放った第三世界の時代に果たして朝鮮は「不在」だったのでしょうか。1960年代の歩みを通して考えてみたいと思います。

第6回 2022年12月17日(土)

藤本博「ベトナム戦争における韓国と日本の戦争協力と『加害』認識:『ラッセル法廷』の問いかけの今日的意味」

ベトナム戦争でアメリカの同盟国として韓国が参戦し、日本が後方支援的役割を果たした今日的意味を考えます。「ラッセル法廷」で韓国と日本が「共犯者」として裁かれ、「植民地責任」を問う法理が提起されて同時代の日本ではアジア・太平洋戦争時の「加害」が自覚された点、そして現在問われている韓国軍によるベトナム民間人虐殺に関してお話しします。

第7回  2023年1月21日(土)

高一「7.4南北共同声明とは何だったのか:南北対話の展開と変動する東アジア国際関係から考える」

1972年7月4日、ソウルと平壌において南北共同声明が同時に発表されました。朝鮮に二つの政府が樹立されてから初となる南北当局者による対話の成果でした。しかしながらこの南北対話は翌年春には冷却化し、夏には終わりを告げることになります。いったい何が起こったのでしょうか。今回は、南北それぞれがなぜ対話に臨み、なにを得ようとしていたのか、そしてなぜ対話は継続されなかったのか、70年代初頭の変動する東アジア国際関係との関連も交えて考えてみたいと思います。

第8回 2023年2月25日(土)

趙基銀「在日朝鮮人と韓国民主化運動:反共の狭間で」

70~80年代は、韓国の朴正熙・全斗煥政権が「反共」を口実に強圧的な政治を行い、韓国内はもちろん、在日朝鮮人や海外在住・滞在「韓国人」社会までも抑圧した時期である。その状況のなかで、在日朝鮮人は韓国の民主化のために日本人の支援勢力や海外在住・滞在「韓国人」とも「連帯」しながら闘った。しかし、在日朝鮮人の韓国民主化運動もまた「反共」の名の下で抑圧された。ここでは、在日朝鮮人の韓国民主化運動を韓民統を中心にみながら、運動に「反共」がどのようにかかわっていたのかをみるとともに、在日朝鮮人社会における「反共」の問題を考えてみたい。

第9回 2023年3月25日(土)

石坂浩一「日朝国交正常化をいつまで先延ばしにするのか」

初めての日朝首脳会談があってから20年、朝鮮半島の植民地支配からの解放から80年近く。日本政府は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国交正常化をいまだ実現できずにいます。植民地支配の清算、そして東北アジア地域における冷戦の終結により、地域の人びとがともに平和を享受するためには日朝国交正常化と相互理解が重要です。今なすべきことを共に考えましょう。