2021年度 文化センター・アリラン連続講座<オンライン開催>

2021年度 文化センター・アリラン連続講座(オンライン開催・全9回)

*各回ごとにPeatixでお申し込みを受け付けます。 

加費(各回):一般 1,000円    
           :学生・経済困難のある方・障害のある方 600円

*全9回通し券(7,200円)を用意しております。
通し券をご希望の方は、アリランまでメールでお問い合わせ下さい。

「明治以降の「戦争」への再照明-「15年戦争」史観を超えて」

近年、戦時中日本の強制労働をめぐる戦後補償に再び注目が集まっていますが、はっきりとしてきたのは、日本政府・企業の中国と韓国に対する姿勢の違いです。例えば、三菱マテリアルは、2015年に強制労働させた米国人戦争捕虜・中国人に謝罪と補償を行う意向を明らかにしましたが、強制徴用された朝鮮人については、「法的に状況が違う」と謝罪と賠償を無視しました。

この差は外交上の友好の度合いに基づくものとはいえません。そこには、戦争と植民地支配に対する歴史認識と責任をめぐる落差が存在しています。日本で「戦争責任」というときの「戦争」は、アジア・太平洋戦争か、満州事変以降の「15年戦争」にとどまり、その相手は欧米諸国や中国です。同じ強制労働でも「戦争相手」の米国人・中国人と植民地支配下の朝鮮人とは違うといわんばかりの差が横たわっているようにみえます。

そもそも「戦争責任」が指す「戦争」はなぜ「15年戦争」なのでしょうか。近代日本の「戦争」は、明治以降継続してアジアで行われ、とくに日清戦争以降を「50年戦争」、台湾出兵以降を「70年戦争」と呼ぶ歴史観もあります。また、そのなかで植民地征服・防衛においておびただしい軍事暴力が繰り返され、世界史ではそれを「植民地戦争」と呼ぶ見方も定着してきています。にもかかわらず、近代日本史においてはそのような「戦争」観がなぜかなかなか定着しません。それはなぜなのでしょうか。

2021年の歴史講座は、明治以降の日本の「戦争」への再照明をテーマに、国家同士の戦争だけではなく、東学農民戦争、義和団戦争、シベリアでの革命干渉戦争などにも目を向け、近代日本の「戦争」を多角的に再検討したいと思います。

*開催時間はいずれも午後2時から午後4時半を予定しています。

各回の詳細はこちらのパンフ画像からもご確認下さい。→リンク

第1回 2021年6月26日(土

山田朗「近代日本の戦争とは何か:対外膨張戦略の系譜」

「昭和」戦前期までの近代日本の歴史は、対外膨張と戦争の歴史でした。「台湾出兵
」に始まり、朝鮮半島への侵略、日清戦争・日露戦争と続く道は、欧米列強のアジア侵
略に対抗するものではなく、欧米帝国主義のメンバーに加わることで、中国中心の東ア
ジア秩序を破壊するものでした。また、日清・日露戦争は朝鮮半島と中国を戦場・支配
地とした点でもおよそ「自衛」的なものではなく、対外膨張・侵略路線の現れでした。
本講座では、このアジアへの膨張戦略の起点である「ロシア脅威論」から始めて「韓国
併合」を経て、中国へと膨張する戦略の系譜を追跡し、「昭和」の戦争の路線が「明治
」に敷かれたことを検証します。

第2回 2021年7月24日(土)

浅田進史「植民地戦争としての義和団戦争」

東アジアの20世紀は義和団戦争とともに始まったといえる。この戦争は明らかに19世紀末以降にアジア・アフリカ・オセアニアで本格化した帝国主義列強による植民地化の延長線上にあった。さらに、八ヵ国連合軍という前例のない国際的な軍事介入をともなった点で、まさに世界史的出来事であった。ここでは、八ヵ国連合軍のなかでも最大規模の兵力を派遣した日本軍とドイツ軍の軍事行動を事例に、植民地戦争の観点から義和団戦争を考察したい。

第3回 2021年9月11日(土)

愼 蒼宇「植民地朝鮮における「戦時」とその実態-義兵戦争・シベリア戦争・三一運動から-」

「戦前」「戦後」の「戦」とは、日本では主に満州事変以降の「15年戦争」のことを指しますが、日本の近代が明治維新以降、対外戦争に満ち溢れていたのは周知の事実です。それでも日本近代史、「内地」の政治史の時期区分のなかでは、そこには連続性が見られないばかりか、植民地での軍事行動はその範疇にも位置付けられていないかのように見られがちです。本講演は、植民地朝鮮での苛酷な「戦時」の実態に迫ることで、「15年戦争」史観の問題点を浮き彫りにし、朝鮮半島の150年がいかに「戦争」と不可分の歴史であるかを問い直したいと思います。

第4回 2021年10月2日(土)

北村嘉恵「戦争の記憶と記録 ―台湾先住民族の近代史から」

〈戦争〉という言葉によってわたしたちは何を想起しているだろうか。夏ごとに喚起される記憶があり、意識的・無意識的に封じ込められてきた記憶がある。いくつかの歴史記録を手がかりとして台湾先住民族の近代史と日本との関わりをひもとき、自らの歴史認識を問い返す機会としたい。

第5回 2021年11月20日(土)

中川未来「東学農民戦争はいかに報道されたのか—地域社会における朝鮮観の形成と展開」

東学農民戦争は、近代日本が大陸国家への道を踏み出すにあたり朝鮮の民衆と直接に対峙する大きな契機となりました。最前線に立ったのは四国4県の出身兵であり、東学農民戦争に関する報道は地域社会でも大きな関心を呼びました。その主体を担ったのは、朝鮮の日本人居留地で刊行されていた日本語新聞の記者です。ここでは、朝鮮で活動した日本人ジャーナリストと彼らを送出した地域社会との関係に注目することで、近代日本における朝鮮観の形成と展開を「地域」の視座から捉え直したいと思います。

第6回 2021年12月18日(土)

伊藤俊介「明治以降の日本と朝鮮-日清戦争まで」

明治政府の対朝鮮政策を考えるに当たって、征韓論争とはどのようなものだったのか、日本の強硬な態度に朝鮮政府はどのように対応したのか、日清戦争の真の目的とは何だったのかなど、日韓・日朝関係をめぐるさまざまな疑問についてみなさんといっしょに考えてみたいと思います。

第7回  2022年1月15日(土)

洪昌極「近年の民族運動史論について考える―三・一運動史を中心に」

昨今の韓日の学界では民族運動史をめぐる語りに一定の「変化」が見られます。三・一運動史論のそれはその端的な例であると言えるでしょう。我々はこの「変化」をどのように捉えていけばいいのでしょうか。私の回では、植民地期の朝鮮農民たちが置かれた状況に今一度立ち返ってみることを通じて、みなさまと共にこの問題について考える機会を設けてみたいと思います。

第8回 2022年2月19日(土)

宋連玉「「50年戦争」下の性暴力と性管理-日清・日露を中心に」

植民地における女性の性搾取は多くが「15年戦争」期に限定して研究されていますので、あたかも女性の身体への蹂躙は日中戦争から始まったような受け止め方が一般的です。しかし東学農民戦争時のジェノサイドを想起すると、国家暴力に抵抗する人々を容易に屈従させる方法として性暴力が恣行され、それと連動して性管理が行われたことは想像に難くありません。日清・日露戦争期の性暴力・性管理をテーマにした研究は多くありませんが、軍事主義・植民地主義の本質に性暴力があることを実証的に追ってみたいと思います。

第9回 2022年3月12日(土)

小川正人「「従順ナル人種」という認識-近代日本社会とアイヌ民族—」

近代アイヌ史を知り・考えるにあたっては、近代社会の中でアイヌ民族が置かれてきた状態、言い換えれば、アイヌ民族にとってのマジョリティがもたらした状態を知ることが不可欠です。今回の報告では、私なりのこの問題への接近を、「北海道旧土人保護法」(1899年)制定前後に見られるアイヌ民族を「従順ナル人種」と称揚する議論などから試みます。