「文化センター・アリラン」へのご招待

                         館長 宋連玉(ソン・ヨノク)

文化センター・アリランってどんなとこ?

 文化センター・アリランは朝鮮と日本の相互理解を願う市民によって支えられるNPO法人です。所在地は休日ともなれば「韓流ファン」が押し寄せる 東京都新宿区大久保、職安通に面しています。

 内閣府のNPOホームページには文化センター・アリランが「多くの人々に対し、朝鮮民族の歴史と文化を紹介し、日本と韓国・朝鮮の相互理解を深めるとともに地域文化の発展に寄与することを目的にする」とあります。もう少し具体的に紹介しますと、文化センター・アリランはまずは朝鮮関係の書籍、資料を約4万点所蔵する、日本では数少ない朝鮮学の専門図書室です。梶村秀樹先生をはじめ朝鮮学研究においての先達から譲り受けたものが柱になっていますが、最近では文化センター・アリランの存在意義を評価する韓国の国史編纂委員会や東北アジア歴史財団などからも支援をいただいています。

 故・裵敬隆氏(前副館長)は、所蔵している一冊一冊に「良心の木霊(こだま)」が宿っていると言いました。その意味するところは所蔵文献が単なる「もの」ではなく、民族差別と偏見に抗い、人間らしい生を希求するなかで編まれ、出会った魂の所産なのです。

 残念ながらスペースの制約から所蔵図書のすべてを公開できずにいますが、全容を伝えるために目録作業を推進しているところです。

 文化センター・アリランは図書室を拠点に、朝鮮と日本の近現代関係史に関心を持つ人々の交流の輪を広げ、若手の研究を支援し、交流と研究の成果を広く社会に共有しようとし、『アリラン通信』などの発行も行っています。

 ビルの8階にあるので敷居が高いと感じるかもしれませんが、隣国の歴史・文化に触れたいと思えば気軽に訪ねてください。お待ちします。なお入館料は無料です。

文化センター・アリランの沿革について

 文化センター・アリランは朴載日氏(1930~2008)によって1992年11月に西川口の地で創設されました。日本で生まれ、15歳まで皇民化教育を受けてきた氏は、引き裂かれたアイデンティティを抱え、朝鮮そのものを体現する母親を否定しました。「子供のころ、民族衣装を着て堂々と出歩き、朝鮮人丸出しの母が恥ずかしかった。差別されるのがいやで、母から離れて歩いた」と述懐しています。自己否定を強いる政治に苦しみもがく子供、その子供から存在を疎まれる母親、 このように親子の関係性を日常生活の場で歪めるのが 植民地主義の暴力性の一面です。

 のちに、なぜ日本で生まれ、なぜ差別を受けてきたのか、その歴史的背景を知った朴載日氏に、母を否定した過去が癒せない痛みとしてよみがえります。母へ償いをし、あるがままの自分を受け入れるまでに迂回した時間を取り戻し、次世代を担う若者が歴史を知る場とそのための手引きを提供したいと創設したのが文化センター・アリランなのです。

 構想から完成まで8年の歳月、2億5千万円の借金をしてスタートしました。文化センター名に冠したアリランとは、朝鮮全土で愛唱されている民謡です。民衆の心情を各地の郷土色を織り込みながら、連綿と歌われ、継承されてきた魂の音(ソリ)です。民衆の喜怒哀楽を掬いあげる歴史学、植民地主義の被害者の声を代弁する歴史学、それを求める朴載日氏の夢に共感、共鳴した姜徳相滋賀県立大学名誉教授が今日まで二人三脚で率いてきたのが文化センター・アリランなのです。

文化センター・アリランがなぜ歴史認識を重視するのか?

 文化センター・アリランが西川口から新宿へ移転したのは2010年でしたが、奇しくも「韓国併合100年」という節目を迎えた年でした。各地で植民地主義を再検証し、克服するために活発な議論が交わされました。

 「戦後50年」(1995年)に村山談話が発表されましたが、そこでは日本という主語とアジア諸国という目的語を明確にした上で、侵略と植民地支配について「痛切な反省」と「心からのお詫び」が表明されました。「お詫び」は「謝罪」とは異なる意味合いをもつものですが、しかし村山談話のその精神すら継承されているとはいえません。

 文化センター・アリランの新宿移転後から差別排外主義者のグループが中心になって東京の繁華街で白昼に臆面もなくヘイトスピーチを繰り広げるようになりました。ヘイトスピーチと第二、第三の「韓流」ブームが併存する、アンビバレントな現象を見せるのが今日の日本のもう一つの顔ともいえるでしょう。

 2005年「戦後60年」の小泉談話に次いで、2015年には安倍首相による「戦後70年」談話が発表されました。その内容は過去の談話を引用して紹介したものですが、侵略と植民地支配については一般論として否定しただけでした。またこの談話では、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはありません」と結び、アジア諸国への「謝罪」を断ち切りたい安倍首相の持論を盛り込みました。よって侵略戦争、植民地支配の被害を受けた当事者を納得させられないばかりか、日本のアンビバレントな社会現象にも有効な手立てにはなりえませんでした。

 植民地支配による個人の被害が賠償問題として取り上げられるたびに、日本政府は1965年の日韓基本条約、請求権協定で「解決済み」と主張します。しかし協定および交渉過程についての最近の研究で、植民地支配下の反人道的行為は議論の対象にされていないことが明らかになっています。交渉内容に含まれていなかった事項が、その条約によって「解決済み」とされることは妥当でしょうか?次世代の子どもたちがこのような歴史的事実を知らずして、謝罪を求める被害者へ漠然とした反感だけを抱かせてもいいのでしょうか?

 文化センター・アリランが歴史認識を重視し、歴史講座を開く所以は、歴史認識が政治・外交・安保においても重要ですが、それ以上に様々な違いを超えて相互理解をはかる上で必須だと考えるからです。歴史とは年表を暗記したり、身近な人びとの経験を我田引水に解釈して、水に流すことではありません。

 世界に広く目を転じると、植民地主義の加害者よりも被害者のほうが圧倒的多数です。2001年に反人種主義、差別撤廃を訴える世界会議が南アフリカのダーバンで開かれましたが、以降、植民地主義に対する賠償が少しずつ広がっています。植民地主義という過去から今日にまで続く負の歴史を知ることが、世界の共感を得られる時代となっています。

 新たな世界の潮流に触れ、その世界を構成する自分史を知るためにも、文化センター・アリランをぜひ一度訪ねてみてください。